秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑦『おい癌め酌み交わそうぜ秋の酒①』

金山秋男

人はそれぞれ生きてきた風に、死んでいくものですが、たとえば、癌のもたらす精神と肉体の痛みに対しても、俳句のもつ諧謔性、そのユーモアの精神が効果を発揮し、感傷や自己憐憫におち入ることなく、抑制や明澄な意識をもたらすのは、やはり癌で逝った俳人で随筆家の江國滋氏の事例が雄弁に語っております。告知を受けた直後の句。

 立春の翌日に受く癌告知

いのちが芽吹き、陽光がやっとあふれてきた、何となく心楽しいこの時期が、一転死の影を含む暗い春のはじまり。その驚きが次の句。

 残寒やこの俺がこの俺が癌

と、なるほどここにはショックは隠せませんが、それからの江國氏の死への道程は、人生の様々な事象を相対化して捉えるそれまでの生き方に沿って流れていきます。

 春暑し傷痛し胸苦し

カーディガン、ナースはみんなやさしくて地獄のような三重苦の中でも囘りへの配慮は失われておりません。彼を気づかって看護師カーディガンを着せてくれたのでしょう。世間の虚飾から退いて病床に身を置いてみれば、他者の気づかいがよく見えてくるということでしょう。

やがて再手術は成功しますが、新たに患部には「鉄の輪っかで締め付けられるような重い痛みが加わり」その上、癌の転移が告げられるのです。

 六月や生よりも死が近くなり
 目にぐさり「転移」の二字や夏さむし

こうして彼の苦難は一層増大し、右腕が病的骨折し、動かず、転移した胸部の激痛も日夜彼を苦しめるようになります。しかし、彼の諧謔の精神が全開するのはこれから。

 断末魔とはこのことかビール欲し
 死に尊厳なぞといいうものなし残暑

「死に尊厳なぞ」ないという断念と諦念のギリギリの地点にこそ、彼の尊厳があるという逆説。それは文字通り死ぬ苦しみの中での句作でこそ光芒を放つ種類のものです。

辞世の句にはあくまで精神的敗北を拒否する、彼の凛として諧謔が息づいております。それが冒頭のタイトルの一句。癌も身内。もはやこの癌は外部からの侵入者ではなく、自分から生れた息子のようなもの。ならば共に飲み、共に死のうではないかというのです。

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