金山秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑬『人間の死に方「高さと低さ」』

金山秋男

何回か前のこのブログで、愛憎、生死、清濁、緩急など相対立する語を重ねて、その止揚、融合あるいは転位の向うに、独特な精神の境位を探るという、日本人の魂のあり方について述べましたが、人が生きて立つ位置の高低にも、それは如実に表れてくるようです。

次に掲げるのは新聞の<ひととき>に載った小山美智子さんという読者が投稿された文章ですが、これまでと同様な、一種生死解脱の境位を示しているといった良いでしょう。

その病院の正面の塔の上に、金色の十字架が立っていた。私は その十字架を仰ぎながら、H先生のお部屋へ向かった。その日、私は先生に招かれて、私のがんの知らせをいただくことになっていた。

末期の目で見る時、森羅万象は光り輝いて見える。すべてのものに価値は逆転してみえる。最も低いところに立つ時、最も高いものがみえるのだ、ということがわかる。生かされていること、当たり前だと思っていたことがすべて「たまものだ」というのがわかる。

死をみつめて生きることは大切であり、そこから初めて本当の生き方が見えてくるのではないかと思う。一日一日を大切に、明日を思わず、今日を感謝して生きていこう。「がん告知」は私にとって神の恵みであった。

これは30年ほど前の記事ですから、当時はがん告知はそのまま死刑宣告といって良い時代。そういう告知がそのまま「神の恵み」とは、紛れもなく彼女も「色」一色の日常世界から「がん告知」によって追い落とされることでこそ、「色即是空」へ参入し、同時に「空即是色」への実存的転位を果たしてしまっていることが窺えます。

彼女も言うように、「末期の目で見る時、森羅万象は光り輝いてみえる」という実例は枚挙にいとまもありませんが、「最も低いところに立つ時、最も高いものがみえるのだ」という彼女の述懐には、生活者としての一種の覚醒が現実化しているといって良いでしょう。

生れた以上、老病死は誰しも避けられない原理(無常)。むしろそれらに直面して初めて、人生が始まる訳で、彼女も言うように「—そこからはじめて本当の生き方が見えてくるのではないか」とうのが、人生の真実のようです。それを彼女は「一日一日を大切に明日を思わず、今日を感謝して生きていこう」と言うのです。ここにはもう、生に執着し、死を拒否するという価値観は完全に払拭されていますね。

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