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金山秋男

金山秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑪『人間の生き方『仏と衆生の呼び交わし』』

私の好きな三好達治の詩作品から一つ。題して『わが名をよびて』
金山秋男

金山秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑩『日本人の魂の古層『光と闇』』

何回か前のブログで、相対立する語をつなげた熟語が、その向こうに対立を超えた世界を開示する不思議に触れましたが、むしろ日本人は、このような論理性をひねり、逆説的に世界の、あるいは人間の深みに、真相を探ってきたふしがあるのです。
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秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑨『日本人の魂の古層⑨:日本人の感性』

日本人の宇宙観(コスモロジー)の特徴を示すものは、神と人と自然が分離せず、常に連絡して生活が営まれてきていること、それはまた、お盆や各種法要などにみるように、死者の世界(あの世、彼岸)と生者の世界(娑婆、此岸)とが連続しているという感性でありましょう。
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秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑧『おい癌め酌み交わそうぜ秋の酒②』

こうして江國滋氏は逝きましたが、残る家族はどのように彼の死と和解したのでしょうか。無論、家族の細々として看病の記録などには興味がありません。むしろ死を前にした氏の句作が、彼の生きざまを詩的に昇華したように、見送る側にもその最期をみつめ尽くし、納得する詩的昇華のプロセスがあるとすれば、その生死を媒介として向かい合った、究極の姿が見たいと思うのです。
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秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑦『おい癌め酌み交わそうぜ秋の酒①』

人はそれぞれ生きてきた風に、死んでいくものですが、たとえば、癌のもたらす精神と肉体の痛みに対しても、俳句のもつ諧謔性、そのユーモアの精神が効果を発揮し、感傷や自己憐憫におち入ることなく、抑制や明澄な意識をもたらすのは、やはり癌で逝った俳人で随筆家の江國滋氏の事例が雄弁に語っております。告知を受けた直後の句。
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秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑥『俊寛の最後』

『平家物語』は平家一門の盛衰を描いた軍記物語ですが、歴史教科書と違い、単に事件を羅列するばかりでなく、滅びゆく人々の希望、絶望、悲哀といった、現代にも通じるテーマと深く関わっており、義経や維盛の最後など、読みてにも身につまされる体験に誘い込みます。
金山秋男

秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」⑤『I先生の思い出』

もう23年以上前のこと。私は郷里に帰った折に、中学時代に私をかわいがってくれ、私も最も敬愛していたI先生を訪ねたことがあります。
金山秋男

秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」④『偶然と必然の間で』

私たちは、一生運命との「鬼ごっこ」をしているのだなと思うことがあります。自由意志という幻想を抱えて、童謡じゃありませんが、「どんなに上手に隠れても」必ず掴まってしまうように出来ている。しかしそれが幸か不幸かも人智を超えているのです。
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秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」③『悪(罪)人とは?』

かつて『歎異抄』について書いた文章を、少し手を加えて転載いたします。この書はいわゆる「悪人正機」でも有名ですが、そもそも「悪人」とはどういう人のことを言うのでしょうか。
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秋男の「生きるヒント、死ぬヒント」②『大人になること』

昔の読書ノートを読み返しておりましたら、次のような詩に出会い、作者のさわやかな若さに、心温まるものを感じました。といっても、作者の坂口たか子さんという方については、ほとんど何も知りません。早速、この詩を最初に読んだ紀野一義氏の『私の歎異抄』を開いてみましたが、彼女がまだ二十歳そこそこで盲目の詩人であること以外はほとんど何も分かりませんでした。彼女の詩は題して『雪の白さ』。
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